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秋田栄養短期大学 コラム「栄養と健康のちょっとイイはなし」
16.秋田の味覚の立役者 今野宏(教授)

幕末から明治にかけて日本人の80%は農民でした。しかし日本人は決して米食民族とは言えませんでした。苦労して刈り入れた米は年貢米として領主や地主に取り上げられ、残った米は肥料や農具代、そして生活費に回さなければなりません。農民の口に白米のご飯が入るのは冠婚葬祭に盆と正月ぐらいでした。日本人が平均して米を食べられるようになったのは、たかだか80年程前です。戦時中、米は配給管理されていたので、誰もが好きなだけ白米のご飯を食べられる生活水準に到達するまでには稲作開始以来実に2千年もかかったのです。

しかし秋田の領民は違いました、明治の半ば日本人の米食比率は著しく低く、雑穀中心が圧倒的に多い中、羽後の国(秋田県)は米9分以上を食する最も豊かな国として記載されています。越後(新潟県)ですら米7分以内雑穀3分以上で、琉球(沖縄県)に至っては雑穀9分以上米1分以内でした。飢饉に見舞われた年でも秋田の領民は一人平均1斗の米(15kg)を麹に替えたといいます。

秋田の領民は麹を使って穀物や野菜、魚肉類をより滋養豊かにしかも長期間保存できるように加工しました。低温で長い時間をかけて醗酵させる味噌、甘酒、麹を使った漬物など沢山のまろやかな味を持つ醗酵食品が発展をしているのは秋田の食の大きな特徴です。中でも麹の果たした役割は大変大きく高度な味を先人達は麹に求めたのです。

その代表例が味噌です。横手平鹿地域で伝統的に見られる味噌は、大豆の3倍量の米を麹に替え仕込む甘い味噌です。このような麹歩合の高い味噌は全国的にも例がありません。食べ慣れるとこたえられない風味を持つため、この地域では各家庭で味噌に対して独自の強いこだわりがあり、麹屋さんに委託醸造している家庭がとても多いのが特徴です。「秋田は麹県」と言ってもよいかもしれませんね。